つぶやき

某所で神託をしています。

和を以(もっ)て尊しとなす

コレ、むちゃくちゃ誤解されている言葉の一つなんですが

これを『諍(いさか)いを起こさない=言い合いをしない=何も言わない』

と捉えている人の多さ、

専門家なのに認識が曖昧過ぎる人の多さ、

『依存』と『頼る』を混同している人の多さなど

昨日は朝っぱらから絶望してしまった私。

 

 

 

まず私は、『和を以て尊しとなす』の意味を

『和を大切にするには話し合いや議論、意見交換をすることが大事』

だと教わったのですが

議論となるとどうしてもヒートアップする事だってあるわけで、

それも時には(感情論になりさえしなければ)やむ無しだと思ってるんですけど

それを『諍い』だと捉える人、否定だと捉える人、喧嘩だと捉える人の多さに

流石に嫌気がさしてしまいました

 

 

 

と、ここで素戔嗚さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

素「オイ」

 

 

 

私「ハイ」

 

 

 

素「俺はお前に、確かにこう言ったはずだ。

『知る』は『認識』、

『学ぶ』は『習得』、

『活かす』は『実践』、だと。」

 

 

 

私「………!?」

 

 

 

素「お前の中では今、専門家に対して

これらがぐちゃぐちゃになってんのが解るか?」

 

 

 

私「………え、だって『認める』『識』だから

『受け入れた』『識』なわけで、

『受け入れた』って事は『落とし込んだ』と同義だから

それをどんな例えにでも出来るわけでしょ?」

 

 

 

素「うん、そうだよ。」

 

 

 

私「!??(汗)」

 

 

 

素「あー………えーと、そういう意味じゃなくて

一応専門家はこれらが出来てるといえば出来てるんだが………

 

 

 

私「ナニそれ、意味が解んないんだけど!(; ̄Д)

 

 

 

素「『捉え方自体が違う』って言えば解るか?」

 

 

 

私「???(汗)」

 

 

 

素「んーー、例えが適切ではないかもしれんが

精神科医』を『卵料理の専門家』だとして。

『卵焼き』と称した『依存』について学ぶとする。

その講師となる者が『これが卵焼きだ』(依存とはこうだ)と

『卵の性質』(依存の原因)と『溶き卵を焼く』(結果)について解説したとして、

『卵焼き』(依存)について全く知らない人がこれをどう認識すると思う?」

 

 

 

私「あれ?何かちょっと解ってきたかも

それだと『卵焼き=スクランブルエッグ=プレーンオムレツ』

だと認識しても何も不思議ではないよね?

この場合、『依存=頼る=必要堂々と解説してた方がおられました)』

………って認識しても別に不思議ではないって事か………

『卵の性質』と『溶き卵を焼く』だけしか把握してなければ

スクランブルエッグやプレーンオムレツの事を『それが卵焼きだ』

と誤認識しても無理はないし、広義では何も間違ってはいないわけで……

 

 

 

素「うんそう。そしてその場合は確かに『実践』(実際に作る)も可能だし

作れるもんは作れるんだから『習得』してるとも言えるんだけど。

だが厳密には『卵を焼いた料理』を習得したというだけでさ。

『厚焼き卵』を習得したわけではない事は解るか?」

 

 

 

私「あ、なるほど…………『卵焼きの認識』自体にズレが生じるのか

 

 

 

素「そう。多くの人は『卵焼き』といえば『厚焼き卵』、っていう認識をしてるだろ?

でもココで『卵焼きってそうなの?』とか

『世間一般には卵焼きといえば厚焼き卵なんだけど』などと思いつつも、

大抵の人はそれらの事を言わずにその場を終わらせる。

…………これが現代の、多くの人達の現状。

オマエこれが本当に『和を以て尊しとなす』だと思うか?」

 

 

 

私「どこが!??(ll゚д゚)

『長いものには巻かれろ』でも『豪に入れば郷に従え』でもなんでもないし!!

それってただ言いなりなだけじゃん!」

 

 

 

素「そうだな。そしてココにも"解(答え)"は無い。

あくまでも『専門分野での"解"』があるというだけで、

厳密に言うならこの世に"解"などというものは存在しないのさ。

………さて、ここで問題。"解"とは何?」

 

 

 

私「……………………………

『一つの"問題"における"答え"』とか、

『ゴール』とか『目的』とか『目安』………

だけどこの世には"終わり"なんてものはなく、"永遠"とか

"今この瞬間"しかないわけで………………

て事は、逆に言うならあたしら人間は基本的に

絶えず『議論』や『意見交換』などをするしかないのか……

 

 

 

素「その通り。ウロボロス』とか『ウロボロスの輪』とか呼ばれるものと同じなんだけど

多くの人は『胴体』の位置に居たりそこしか見なかったり、を『選択』しているのに対し

お前はそこではなく頭と尻尾の位置に居る事や

そこを常に意識しながら見る事を『選択』してるから

色んな事に対しての疑問なんかが出てくるし実際にそれを問うたりするんだわ。

ついでに言うなら『脱皮』の瞬間なども見てるけど。」

 

 

 

私「『脱皮』…………確かにそうかも。

それって、多くの人は『永遠の安定』を望むから『胴体に居たがる』とか

『頭と尻尾は見ない』って事だよね?

だって、見たら『永遠の安定』は無くなるんだもん。」

 

 

 

素「そういう事。(笑)

だが実際には、『永遠の安定を維持しながら変化する事』は出来るんだけどな。

というかむしろ『議論』をする事でそれが可能になるんだが………

 

 

 

私「………………………………………

…………………………………………

………………………………………

ねえ。もしかしてさ、あたしがこの所ずっと思ってた事とソレって関係してる?」

 

 

 

素「うん(笑)あらかたお前の想像通りだぞ。

今お前とほぼ同じ"ポジション"にいるのは寺の姉さんと千代女。

そこにもうちょっとで加わるのが九鬼と『あのご夫婦』。

まーでも、その他の人達もいずれそのポジションには加わるんだがな。

ただ、その『認識のズレを修正出来る人』はここいらでは今の所お前ら三人だけだ。

……………オマエ昔から自分でも言ってただろ。『軌道を修正するのは得意な方』だってさ。」

 

 

 

私「あー!確かに言ってた!!(ll゚д゚)

……………でも、あたし今それちゃんと出来てんのかなぁ…………

何か自分的にはその感触が無いというか何というか………

 

 

 

素「あのなぁ……………よく考えてみろよ?

お前らは各々の特性からそれらを簡単に落とし込めてるってだけで、

その特性が弱まってる人らにお前らと同じ事が出来るわけねぇだろが。(汗)」

 

 

 

私「………………………………………

ココでもやっぱり"意識"と"認識"の問題になるのか………

意識を変えるには認識を変えるしかないんだけど、

その認識の認識自体を考慮しながら意識を変えてもらえるような提案をしにゃならんとか…(泣)」

 

 

 

素「このドアホゥ!!んな難しい話じゃねぇだろが(; ̄Д)

 

 

 

私「ん??」

 

 

 

井「あき殿。今は現代人の『認識』自体が頭から崩れておるようなものでござる、

と申せば主には伝わるであるか?」

 

 

 

私「はっ!…………そうか、最初から『無い』前提で何事も進めていけばカバー出来るんだ。

…………うわ…………あたしの固定観念orz

 

 

 

武「されど主はまこと『擦り合わせ』をよう行っておる故、

わしらは見てて痛快であるぞ。(笑)」

 

 

 

私「情報は常に更新されてるわけだからね。

…………となるとやっぱ初代師匠には感謝だわ〜…………

あの人が『リーディングよりももっと大事な事』を教えてくれたもんだから

それらをちょいちょい意識するようになったわけだし。

二代目師匠にも感謝は感謝なんだけど………初代師匠の恩恵はデカい(*´;ェ;`)

師匠、ありがとう。」

 

 

 

素「さて。『認識の擦り合わせ』の大事さが解った所でお前はどうする?」

 

 

 

私「………………………………………

明日リエさんが豊田まで出てくるから、

リエさんと会ってちょっとエネルギーをもらってくる!!(笑)」

 

 

 

素「ははは!それでいい。

……………そこでもう一度『アイツ』の観察もしてくるんだな。」

 

 

 

私「………解った。今後のあたしの行動に関わるって事なんでしょ?

あたしゃ『サークル』の人達のような、共依存を生み出す活動とかしたくないからね。」

 

 

 

康「あき殿はまこと基本が『一匹狼』でござるな(汗)」

 

 

 

私「『基本は』ね。でも知ってた?

狼は群れをなす事も出来るしその場合はリーダーも居るっちゃいるんだけど、

リーダーは固定ではなく状況に応じて変わるし

他の狼の群れから来た狼だって自分の群れに迎え入れたりする、柔軟性に長けた生き物なんだよ。

しかも天敵はいないの(笑)」

 

 

 

井「……………あき殿の天敵は『かれー』と『桃の缶詰め』と存じておるが……………。」

 

 

 

素「ははは!それも基本は天敵の部類だが、

モノによってはその二つも食えるから『天敵』ってほどでもねぇんだわ。(笑)」

 

 

 

私「あー、酷ーい!里帰り中の事をほじくり返さんでくれるぅ〜!?(TдT)

 

 

 

井「あれはまこと痛快であった(笑)」

 

 

 

私「………くっそ〜〜………直政あぁ!!後で覚えとれーー!!」

 

 

 

素「その前にまずお前がその事を忘れるだろうし、オマエそれ雑魚が去り際に吐き捨てる

典型的なセリフみてぇだぞ(;)

 

 

 

 

 

 

 

世の人達の認識というものがいかに曖昧であるか、どれだけ甘いのかは

配達のパートに出てた時イヤという程理解したはずなのに、

私は私ですっかり忘れていた事を反省

だから『初心にかえれ』っていうメッセも来てたのか………納得。

 

 

人間の『認識』がどれだけ甘いのかは、専門家の

「依存には良い依存と悪い依存がある」という記述に集約されてる気がして他ならないです。

嘘に善いも悪いも無いのと同じで、依存にだって善いも悪いも無い。

嘘はどこまで行っても嘘で、『事実ではない』し

依存はどこまで行っても依存で、『自分に出来る事の放棄』でしかない。

それらを『善悪でしか判断しない』という意識を変えるには

『善悪で判断する事を止める』という意識が無ければ変わらないし

『善悪の認識』とか『認識自体』を変えるしかないのですが…………

 

 

『人は食べ物に依存している(だから食べ物への依存は良い依存)』という

専門家のトンデモ理論には、とことん呆れ果ててしまいました。

『依存』っていう言葉自体が必要なのは、

『過度に頼る事』という内容を楽に説明するために生まれた所もあるんだからね!

 

 

 

ちなみに自分の誕生日の数字を見た時は

「何かしらを始めた時の事や、その頃の気持ちを思い出せ」というメッセージなので

参考になさってください。